1990年代最高のラップミュージシャン
音楽の歴史には、現実離れした驚きの人物や逸話が多数存在します。どのジャンルにもそれぞれに大成功を収めたアーティストがいて、各国にお気に入りの音楽スタイルがあります。しかし、論争、暴力、陰謀などのテーマに関しては、1990年代のアメリカのラップと比較できるジャンルはありません。重要なラッパーが音楽シーンに何人も登場し、永遠に残る影響を残していったのは間違いなくこの時期です。
史上最高のラッパーは誰かという議論になると、音楽評論家とラップファンは今も意見を異にしますが、おそらくこの質問には答えを出さない方が良いでしょう。史上最も成功した3人のラッパーの一覧を作るのはさほど難しいことではなく、このジャンルや時代の特徴を明確に見せてくれます。90年代にテレビを席巻したラッパーは今も人気で、アフリカ系アメリカ人コミュニティーの英雄として称賛されています。
2Pac
最高のラッパーに関する議論は、世界的に有名なトゥパック・シャクールの名前を語らずにはできません。1990年代前半に登場し、全米で急速に人気を高めた彼の最も人気の高い曲としては、「アイ・ゲット・アラウンド」、「ディア・ママ」、「California Love」、「ハウ・ドゥ・ユー・ウォント・イット」などがあります。活動期間中は、物議を醸すライフスタイルや頻繁な違法行為で人気を獲得した平凡なラッパーにすぎないと非難されることも多くありました。彼は複数のインタビューの中で、声をあげる機会すら与えられなかったアメリカ社会に無視されたグループを代弁することこそが、自分の音楽の目標だったと述べています。
その歌詞や韻が平均以上か否かは評論家やファンにその判断を任せますが、シャクールの人生はあらゆることが平均以上でした。ギリギリの崖っぷちを生きて、ありとあらゆる高リスクの行動をとっていたのです。彼は1996年9月13日に殺害されましたが、誰が何のために殺害したのかなど、今も多数の陰謀説がささやかれています。
ノトーリアス・B.I.G.
シャクールの友人だったノトーリアス・B.I.G.(別名クリストファー・ジョージ・レイトア・ウォレス)の一生もやはり危険なものでした。当初ニューヨーク郊外に住んでいた彼もさまざまな犯罪行為を犯し、地元の捜査当局を相手に何度も騒動を起こしていました。2Pacの殺害に何らかの形で関与したと主張する人もいましたが、そのような容疑が証明されることはありませんでした。1997年3月9日に暗殺され、その犯人が特定されることは決してありませんでした。大ヒットとなった曲には「Juicy」、「Big Poppa」、「One More Chance」、「Hypnotize」などがあります。
ナス
ナスは存命する1990年代を代表するラッパーの1人です。2Pacとビギー(ノトーリアス・B.I.G.)の両名とも知り合いでしたが、両名よりも穏やかな、露出の少ない人生を送っています。ヒット曲には「Street Dreams」、「Hate Me Now」、「If I Ruled the World」、「It Ain’t Hard To Tell」などがあります。今も慈善活動にかなり熱心で、黒人コミュニティの人々の生活向上に相当な努力をしています。現在はカリフォルニア州ロサンゼルス在住で、同じ地域で活動を続けています。